2012年12月13日木曜日

戦国時代も今現在も個人と社会の関係は、何も変わりません。その中心は人間です。

趣味で室町時代後期(戦国時代)の人物研究をやっていますが、ひとりの人物を通して、様々な事が見えてきます。個人と社会の関係は、時代が移っても何も変わりません。使う道具が違うだけで、その中心は人間です。そして摂理には絶対に逆らえません。

とても興味深い事をいっていた学者がありました。「戦国時代とは武士の堕落」であると。

際限なく権利と利益に拘わり、それを得て、そして保持するために殺し合うのは、正に戦国時代とは、人間として、社会として、戒めるべき一線を越えてしまった苦しみだったように思えます。力で欲望を満たし、また、知恵が欲望を支えるという間違った精神をいつまでも断ち切る事が出来なかった。それが、初期の武士社会だったように感じます。
 戦国時代を経て、近世江戸時代に向かう中で、権利の整理を行い、殺し合わない仕組みを考え出した、政治の歴史は大変すばらしいと思います。

一方でそれは「支配」ともいうのかもしれません。しかし、個人的には奴隷的な感覚を含む残酷なイメージの支配とはちょっと違うのではないかと考えています。徳川家康から3代かかって成し遂げた平和な世の中は、独断的な支配の「罪」よりは「功」の方が、日本社会にとって大きかったと思います。

さてしかし、経済や金融にのみ目を奪われ、本当の自国の「済民」を考える事ができない現代社会は、戦争(暴力)や人権を踏みにじる事にも肯定的に捉える方向に進みつつあるように思えます。銭の光が道理を曇らせる事の怖さも、より意識しなければ、その感覚は退化してしまいます。
 それを問題とも思わず、いわずもがな咎めもせず、全く先進国としての英知すらも忘れてしまって、ただ生活しているだけの国民になってしまっていいのでしょうか?そこから何が生まれるのでしょうか?
※まあ、自分だけが戒めても、それが通用しない状況に陥る事もありますので、常に備え、バランスを保つ事は大切だと思います。暴力に巻き込まれ、自分が被害を受ける恐れがある時は、対処できるだけの備えも当然ながら必要です。

自治とは何か、国とは何か。人間とは何か。社会とは何か。世界とは何か。何の為にそれを手に入れたのか。
 万事、銭だけで解決する事ができるのかどうか。将来像として、どのような道を歩むべきなのかを政治家は、しっかりと示すべきだと思います。企業も同じです。

結局、素晴らしい道具で殺し合い、奪い合い、罵る社会は、500年経った今でも同じになってしまうのでしょうか? 法治から人治の社会に逆戻りになっているのかもしれません。

2012年12月5日水曜日

和漢胃腸薬 忍術丸(和漢生薬)

ちょっと過去と現在とをつなぐ、現在の役立つ情報をご紹介したいと思います。

年末年始は何かと飲み食いが過ぎ、胃腸も疲れ気味になりますよね。私は、この「和漢胃腸薬 忍術丸(和漢生薬)」にもお世話になっています。この薬は、丸薬ですので携帯にも便利で、飲み易くなっています。
※その後、薬は無くなって購入しようと思ったのですが、残念ながら売っているところが無く、その時に購入した「いけだや胃腸薬」の方を愛用しています。

あまり一般では見かけないのですが、この薬をどこで知ったかというと、甲賀流忍術屋敷を訪ねた折、そこでお土産を買う時に施設の方に教えていただいたのがキッカケでした。その時は忍法とか、色々効きそうだと思いました。

和漢胃腸薬 忍術丸(和漢生薬)
◎製品名
和漢胃腸薬 忍術丸(第2類医薬品)
◎製造販売元
日新薬品工業株式会社
滋賀県甲賀市甲賀町田堵野80-1
URL http://www.nissin-yk.co.jp
◎効能・効果
食欲不振(食欲減退)、胃部・胃部膨満感、消化不良、胃弱、食べ過ぎ、飲み過ぎ、胸やけ、胃もたれ、胸つかえ、はきけ(むかつき、胃のむかつき、二日酔・悪酔のむかつき、嘔気、悪心)、嘔吐
◎用法・用量
成人(15歳以上):15粒、11歳以上15歳未満:10粒、8歳以上11歳未満:7粒、5歳以上8歳未満:5粒、3歳以上5歳未満:3粒、3歳未満の乳幼児は服用不可
◎注意事項
次の人は服用前に医師又は、薬剤師に相談して下さい。
・医師の治療を受けている人
次の場合は直ちに服用を中止し、この袋を持って医師又は薬剤師に相談して下さい。
・ 1ヶ月位服用しても症状がよくならない場合
◎副作用被害救済制度
0120-149-931
滋賀県甲賀地域は、今も製薬会社が多く、この忍術丸も地元の会社によって製造されています。また、偶然だとは思うのですが、伊丹製薬株式会社という製薬会社もあります。

それからまた、摂津国池田とは、この甲賀地域とのご縁もあります。甲ヶ谷(こかだに)という町がかつてあり、ここには大工が多く住んでいたとの事で、その名がついたと地元に伝わっています。甲賀谷と書かれた記述もあります。近江国甲賀には優れた大工が多く住む地域としても有名でした。
北摂池田の火祭 がんがら火公式サイト -呉春酒造の梁に書かれた文字(写真上)-

さらに戦国時代、池田には甲賀伊賀守なる家老が居り、城下に屋敷を構えていたとの伝承記録も残ります。

摂津池田は、甲賀地域とも浅からぬつながりがあり、興味深くもあります。